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2017年10月

とり屋で旧交を温める … 居酒屋「かしま支店」(呉)

串の盛り合せ


 「オオムラ亜」での『ひとりゼロ次会』を終えて、向かう先は「かしま支店」である。

 飲み会は午後6時からの予定なのに、10分前に店に着くと、ほとんどのメンバーが到着していて、しかもすでに飲み始めていた。

「乾杯するたびに、ひとりずつ増えるのぉ。浜田も『生』でええか? おねえさん、『生』、もう1つちょうだいや」

 ということで、私も生ビールをもらって、みんなと乾杯すると、案の定、その途端に新たに二人がやってきて、今日のメンバーが全員そろった。

 どんなメンバーかというと、さかのぼること35年ほど前。呉の同じ独身寮で過ごしていたメンバーなのである。そのころの寮長も来てくれた。

 当時、若くてピチピチ(?)だったメンバーも、何人かはすでに定年になっていたりして、すっかりいいおじさんになってしまっている。それでも、このメンバーで集まると、ピチピチだった当時の感覚がよみがえるから面白いよねえ。

 ここ「かしま支店」は、当時、自治会長(=われら寮生の代表)として活躍されていたTさんの行きつけのお店。東京から戻ってくると、よくこの店で宴会を開いてくれるのでした。

 ここも「本家鳥好」(昭和26年創業)をルーツとする、呉独自の『焼鳥と活魚の店』の1軒だ。

 この系統の店は、「鳥好」「三とり」「鳥八」「鳥晃」「鳥乃家」などと、『鳥・とり』の字が付くお店が多かったので、昔から、総称して『とり屋』と呼ばれることが多かった。

 『焼鳥と活魚の店』という、うたい文句どおり、表面上の大きな特徴は、『焼鳥』と、店内の生簀(いけす)で泳いでいる『活魚』の二枚看板となっていること。そして『鶏皮の味噌煮』があること。

 東京下町の大衆酒場で、店に入るなり「チューハイと煮込み!」と注文する人が多かったのと同じように、呉の『とり屋』では、店に入るなり「生と味噌!」(=生ビールと鶏皮の味噌煮)と注文する人が多かったのだ。

 もつ煮込みも、鶏皮の味噌煮も、煮込み鍋で煮込まれているものを、小鉢や小皿についでくれるだけなので、出が早い。最初の1品としてちょうどいいのである。

 現在は、下町の大衆酒場や呉の『とり屋』でも、お通し(つき出し)が出される店もあったりするので、昔ほど「よく聞くフレーズ」ではなくなってきたようだ。

 そんな表面上の特徴とは別に、裏に隠れた大きな特徴もある。

 それは、『とり屋』の経営者に、鹿島(呉市倉橋町)出身の人が多いこと。

 これは「本家鳥好」の創業者・長尾一良さんが、同じ倉橋町の室尾出身だったり、その跡を継いだ二代目店主・上瀬弘和さんが鹿島出身だったりしたことによるもののようだ。

 大人気だった『とり屋』は、鹿島出身の若者にとっても、いい就職先だったのだ。

 ここ「かしま支店」の店名も、その鹿島に由来している。

 そして、この店を始め、『とり屋』各店で出される新鮮な魚介類も、鹿島から直送されてきたものなのである。

 積もる話はつきないが、みなさん明日も仕事なので、午後8時半ごろ、お開きとした。
 平日の夜にもかかわらず、ありがとうございました。>みなさん

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「かしま支店」 / 店の向かいが広い更地になっていた! / 店頭のメニュー

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刺身盛り合わせ / サービスの魚あら味噌汁 / 今宵のメンバー

店情報前回

《平成29(2017)年9月28日(木)の記録》

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1年ぶりに呉で飲む! … ビヤハウス「オオムラ亜(おおむら・あ)」(呉)

オオムラ亜


 出張で福山まで行ったついでに、1日、お休みをもらって呉まで足を延ばすことにした。

 大学を卒業し、社会人となって初めて赴任したのが呉の町。そこで知り合った妻も呉の人だし、二人の子供たちも戸籍上は東京生まれだけれど、実際に産まれたのは呉の病院だ。

 いろんな意味で呉は、私にとって「第二の故郷」ともいえる場所なのでした。

 福山から呉までは、在来線で行っても2時間ちょっと。新幹線なら1時間半もかからないが、そんなに急ぐこともない。

 三原駅の売店で購入した「ウラベのたこ天」と、車窓から見える沿線の風景をつまみに、缶ビールを飲みながら呉へと向かう。

 午後3時過ぎには呉に到着。駅前のホテルにチェックインし、荷物を置いて一休みしたら、さっそく呉の飲み屋街へと足を運ぶ。

 呉も、福山も、さらに言えば広島も、どういう理由(わけ)かは知らないが、駅のある場所と、繁華街とが離れているのだ。なんででしょうね?

 そんな呉での1軒めは、改めて考えることもなく決まっている。

『グッと1杯! 思わず2杯!!』

 のキャッチコピーでもおなじみの、ビヤハウス「オオムラ亜」である。

「おぉ、お帰り。久しぶりじゃねえ。去年、カープが優勝したとき以来じゃけえ、もう1年ぶりじゃない。どうしよったんね!」

 まるで、昨日も一昨日も、この店に通っていたかのような自然さで迎えてくれる店主の亜矢さん。

「いやあ、なかなか来れんで、ごめんね」

 と言いながら、カウンター席の一角に腰を下ろすと、すぐに用意される生ビール(500円)。

 なにしろこの店には基本的に生ビールしかないんだから、注文する必要がないのだ。

 その生ビールを、昔ながらの氷冷式の、スイングコック(蛇口をひねるようなタイプ)の生ビールサーバーで、泡たっぷりに注いでくれるのが、この店の大きな特徴だ。

 明治時代末期に、呉れんが通りで繁盛したビヤホール「日英館」を起源とし、その「日英館」が大正10(1921)年に閉店し、何店かに分割されたときに開店したのが、ここ「オオムラ」だ。

 私が、自身2度めの呉勤務となった2010年にも、まだ「オオムラ」としての営業が続いていた。

 ところが!

 その年の暮れあたりに店主が体調を崩し、「オオムラ」が休店になってしまった。

 そして事態は改善しないまま、2011年は、まるごとお休み。

「オオムラは、どうなるんじゃろうのぉ……」

 呉の呑兵衛たちが、そろそろ心配になりかけてきた2012年。「オオムラ」の近くで、ご自身の店をやっていた亜矢さんが、自分の店をたたんで、「オオムラ」を継ぐという情報が飛び込んできた。

 聞けば、「オオムラを買い取りたい」という人が現れたんだけど、その人は、「オオムラ」が欲しいわけではなくて、「オオムラ」がある建物ごと更地(さらち)にして、自分のビジネスを展開したかったようなのだ。

「この歴史ある呉の酒場をなくしてはならじ!」

 ご自身も「オオムラ」の常連さんだった亜矢さんは、そんな思いをもって、「オオムラの跡を継ぐ」ことを決心したのだった。

 亜矢さんが継いだ時点では、ボロボロだった店内は、大きく手を入れてリニューアルした。

 しかし、そのリニューアルは、かつての「オオムラ」の雰囲気を損なわないことを第一優先に行われたので、昔からの常連さんにとっても、ほぼ違和感がない状態で、2012年5月17日に、「オオムラ亜」としてリニューアル・オープンしたのだった。

 あれからもう5年。もうすっかり「オオムラ亜」として定着した。

 そして今日も、『思わず2杯!!』を通り越して、たっぷりと3杯とおつまみで、お勘定は2,000円。どうもごちそうさま!

 そういえば、定休日が、かつては「不定休」だったのが、「月火休」に変更になっていました。

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三原駅の立ち食いうどんが閉店してた / ウラベのたこ天 / 呉に着いて「オオムラ亜」

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泡たっぷりの生ビール / のんちゃんの北海道土産 / スパゲティサラダ

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バックバーの様子 / 今日のメニュー / アーモンド

店情報前回

《平成29(2017)年9月28日(木)の記録》

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