「鳥芳(とりよし)」お別れ会
今日は、新宿住友ビル50階にある中華料理の「秀山(しゅうざん)」(ぐるなび、Yahoo!グルメ)で、昨年11月末に閉店したもつ焼き「鳥芳(とりよし)」のお別れ会が開催されました。
集まったのは、40人を超える「鳥芳」の常連さんたち。どこを見ても「鳥芳」の店内でよく見かけた顔、顔、顔です。でも、みんな「鳥芳」で見るほどラフな格好じゃないので、なんだか違う人たちのように感じますねぇ。
まずは、「鳥芳」の女将(ママ)さんのあいさつから会がはじまります。
鷺ノ宮の地に、もつ焼き屋を開いたのが、東京オリンピックが翌年にせまった昭和38(1963)年の2月。当時の鷺ノ宮は、今のような町ではなくて、「こんなところでやっていけるんだろうか」と不安に思ったのだそうです。それから、いろんな出会いや別れがありましたが、みなさんのおかげで40年間店を続けることができましたという内容の、涙ながらのごあいさつでした。
そして、ずっとおとなりで営業されてきた「ペルル」のマスター、古川さんの音頭で乾杯です。
ちょっと緊張気味だった出席者も、お酒が入ると徐々にいつもの「鳥芳」での雰囲気に戻っていきます。
司会者から「10年以上の常連さんは手を上げて」という問いかけに、ほとんどの出席者の手が上がります。「じゃ、20年以上の人」。これでも半分ぐらい。「30年以上の人」。今日は6つのテーブルを囲んでのお別れ会なのですが、各テーブルに1~2名ずつは30年以上通っている常連さんがいます。
特徴的なのは、30年以上通っている女性客が多いということです。もつ焼き屋というと、酔っ払いオヤジの溜まり場といった雰囲気がある中、30年以上、女性客に支持され続けてきたというのもすごいことだと思います。
最近でこそ、女性がもつ焼き屋で飲んでても何の不思議もない感じですが、20年前、30年前は、なかなかむずかしかったのではないでしょうか。しかも、今でこそ、みなさん60歳過ぎぐらいのお年になっていますが、30年以上前ともなると、けっこう妙齢ですからねぇ。
その30年以上の常連さんを中心に、女将さんへの贈る言葉です。女性はもとより、大の男まで涙まじりに話される様子は、いかにこの店がみんなに愛されていたのかということを物語っています。店に集って飲んでいたお客の側も「ありがとう」。女将さんも「ありがとう」と、お店も客もお互いに感謝の言葉がいっぱいです。
私と同じテーブルには、店を手伝っていたブッちゃんも座っています。今は、近所の先輩の仕事を手伝いにいったりしてるとのことで、風邪をひいてはいるものの、とても元気そうでした。「12月は『満月』にも17回ぐらいしか行ってないよ」というブッちゃんの言葉に、同じテーブルの常連さんたちから「それだけ行きゃ十分だよ」の声が飛びます。
女将さんは、出席者全員のところをお酌して回ってくれています。私にもお酌をしてくれながら、「インターネットを見て、遠くからわざわざ来てくれたり、よその県から出張のついでに店に来てくれたりした人がいて、とてもうれしかった。みなさんにもよろしくお伝えください」とのことでした。女将さんに成りかわって、僭越(せんえつ)ながら私からもお礼申しあげます。どうもありがとうございました。
泣いて、笑って、感謝して。とってもいいお別れ会でした。これだけの常連のみなさんたちと集える場所だったということに改めて驚くとともに、このメンバーが一堂に会する機会がもうないかもしれないという寂しさを感じながら、帰路についたのでした。
「鳥芳」の跡地は、「ぜん」という居酒屋さんになっているのですが、「鳥芳」の内部をほぼそのまま使っていることなどもあって、逆になかなか足が向かない状況です。あそこまでそのままだと、懐かしすぎて、なんだか寂しいですからねぇ。
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