2軒目・ここっとさんと合流 … 居酒屋「鶯酒場(うぐいすさかば)」(南千住)
三ノ輪(みのわ)→南千住(みなみせんじゅ)間は地下鉄日比谷線で1駅区間ですが、距離にして1キロほど。歩いても20分もあれば到着する距離です。今日はちょっと見ておきたいところもあるので歩きです。ここっとさんも南千住に向かっているはずですが、きっとまだ間に合うでしょう。
三ノ輪から明治通りにそって東に向かうと大きな交差点に出ます。ここが山谷(さんや)の中心、泪橋(なみだばし)交差点。私が見ておきたかったところなのです。フォークソングの歌詞や、ものの本では読んだことがありますが、実際にこの交差点に立ったのははじめて。かつてはこの交差点の角に「店の半径20メートル以内は酔っ払い注意。警戒心をもって歩くことが必要」と言われた立ち飲みの「世界本店」があったらしいのですが、今やコンビニに変わってしまい、すでに伝説の彼方です。
明治通りは荒川区と台東区の区境を走っている道路。この泪橋交差点を左に行くと荒川区。右に行くと台東区です。目的の南千住に行くにはここを左折ですが、ちょっと右に行ってみましょうか。ここを右に曲がると、この道が吉原方面へと続く道なのです。
今日もまた真夏のように暑い1日なのですが、道路の脇にはすでにできあがっているのかゴロリと寝てるおじさんがいたり、救急車がとまっているかと思うと、少しいくとパトカーがとまっていたりとなんだかすごい。でも、そんな中、学校帰りらしき女子中学生がとことこと通学してたりするのもおもしろいなぁ。怖い町のようで、普通の町のようで。
左側の路地の先に人が集まってるところはなんだろうなぁ。立ち飲み屋にしては看板が見えないなぁ。右側は…。おぉ。あれが立ち飲みの「野田屋本店」か。ここも朝から年中無休で営業ですからねぇ。
あったあった。ここが名店のほまれ高い珠玉の大衆酒場「大林」です。あれ!? もう開いてる。そうかぁ。ここも4時から開くのかなぁ。
「大林」は、なぎら健壱さんの「東京酒場漂流記」でも、『山谷の飲み屋と言えば「酔えればいい」という空気で満ちているが、この店はそういった客は来ない。酒を酒として飲みに来る連中の、店なのである。』『この「大林」は、東京の下町の生粋の顔を持った飲屋である。しかし最近こういった飲屋が本当に少ない。赤ちょうちんの灯りはそれこそ、どの町角でも見かけるが「う~ん」とうなるような、薄暗い中にも味のある店が少ない。』と紹介されている店なのです。しかし、なぎらさんがこの本を出版したのが今から20年以上前の昭和58(1983)年。そろそろなぎらさんが新刊大衆酒場本を出してくれるとうれしいのになぁ。忙しくてそれどころじゃないのでしょうか。
ここっとさんに連絡している酒場は、南千住駅前の「鶯(うぐいす)酒場」。そこで飲んでから、次はここ「大林」まで来ようかな。いや。待てよ。歩道に寝てるおっちゃんたちをスカート姿でまたぎながらやって来るというのもなぁ。う~む。お。いかんいかん。そろそろ「鶯酒場」に向かわなきゃ。ここっとさんが着いてしまう。
やってきた道を引き返し、泪橋交差点を渡って南千住駅方面へ。そろそろ常磐線の線路を渡る歩道橋にさしかかるというところでメールが入ります。お。ここっとさんも駅に着いたかな、と思いながらメールを開けてみると「酒場にいます(^^)」。ひぇ~っ。ひとりで酒場に入っちゃったか! 「すぐ行きます」と返信しつつ、スタタタと歩道橋を駆けのぼります。この歩道橋を渡るとそこが南千住駅前です。むくつけき男たちに取り囲まれながらポツ~ンと飲んでるかなぁ。渋谷界隈でひとり飲みになれてるとはいえ、南千住だとなぁ。急げ急げ。お。営業はしていないけど、ここが「大坪屋」か。昼電話したときに5日まで休みって言ってたなぁ。急ぎながらもつい気になってしまいます。あった。「鶯酒場」だ。やっと到着。ガラリと勢いよく引き戸を開けます。
「いらっしゃいませ」とカウンターのところで迎えてくれる店主。その横、ちょうどカウンターの角のところで「こんにちはぁ!」とニッコリほほ笑むここっとさん。
たしかにポツ~ンなんだけど……。ほんとにポツ~ンじゃん。他にだれもお客さんがいないし! むくつけき男たちはどうした!
「鶯酒場」は間口はそれほど大きくないんだけど、奥行きが深い。ここも「コ」の字カウンターといえば「コ」の字なんだけど、「コ」の字を横方向に4倍くらい伸ばした感じかなぁ。ちなみに「コ」の右側が入口です。上下の長い辺にそれぞれ15人くらい座れるでしょうか。そして短い辺にも座れるのでけっこうたくさん入れそう。
ま、しかし。4時に開店したばかりだし、連休の谷間なのでこんなもんなのかな。ここっとさんの横に角をはさむようにして座り、飲み物はこの店ならではのホイス(300円)を注文します。
「なんでホイスって言うんですか」とカウンターの中のおとうさんに聞いてみます。「まだホッピーなんかが出るよりも前に、チューハイの素のような、焼酎に混ぜて飲むためのものがいろいろとあったんですよ。ホイスもそういう中のひとつで、その名前がホイスっていうんで、それで割った飲み物のほうもホイスになったんです」と、棚においてあるホイスの一升瓶を指差しながら教えてくれます。へぇ、そうだったんだ。焼酎のホッピー割りをホッピーと呼ぶのと同じようなものなんですね。
ちなみにホイスのホームページによりますと、『昭和30年頃。ビールやウイスキーはまだ、庶民にとって高嶺の花でした。もっぱら飲まれていたのは焼酎でしたが、当時は品質も悪く、味も匂いもただただ強烈なだけ。そんな時に生まれたのが、ホイス。庶民のあこがれだったウイスキーをもじって、ホイスキー。転じて、ホイスと名付けられたこの酒は知る人ぞ知る「チューハイの元祖」なのです。ホイスと焼酎と炭酸を、4:6:10の割合で割る…。そんな飲み方が、秘かなブームとなりました。当時から小売りされることはなかったので、一般に爆発的に広まるには至りませんでした。それが、「幻の酒」たる由縁です』ということだそうです。
できあがったホイスを受け取って、ここっとさんと乾杯します。
ここっとさんは20代で、その外観からはとても大衆酒場や立ち飲み屋なんて行きそうにないような、いわゆる今風のおしゃれな女性なのですが、「寄り道Blog」を読みはじめて以来、我われの愛するオヤジ酒場の世界にも進出するようになったのだそうで、おひとりでも飲みに出かけるし、寄り道さんや私たちにも声をかけてくれたりしながら、一緒にちょっと遠くの酒場にも出かけるようになった。もともと渋谷生まれの渋谷育ちで、仕事場もすぐ近くなのだそうで、電車にもほとんど乗ったことがないくらいなのに、徐々に電車にも慣れてきたのだそうです。今日もよく南千住まで来ることができましたよねぇ!
お通しとして出されたのは小皿に盛られたおでん2個。ここ「鶯酒場」は出汁がしっかりと染みこんだおでんが有名。このお通しのおでんもよく出汁の染みたいい色です。ひとつは小さな大根。そしてもうひとつが魚のスジです。
「鶯酒場」は東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年の開店。創業以来41年を迎えています。現在カウンター中央部でやわらかく微笑んでいる名物大女将・堀江さんを中心として、本来は従業員全員が女性というところが特徴的なお店らしいのですが、今日は連休中だからか、まだ時間が早いからか、大女将と、我われの目の前にいるおとうさんのふたりで切り盛りしている状況です。
我われの後にも、サラリーマンらしき背広姿の中年の男性客がひとりと、地元の人っぽいラフな姿の男性ひとり客が入ってきて、それぞれ右のカウンターと左のカウンターの一角に座って飲んでいます。なにしろ大きいカウンターなので、4人くらい座っているのだとガラ~ンとしている感じです。このカウンターいっぱいのお客さんが飲んでる姿は壮観だろうなぁ。
ここっとさんはお通しで出された魚のスジが、はじめて食べる魚のスジだったらしいのですが、とても気に入った様子。それじゃ、この店の人気の品でもあるおでん(盛り合わせて420円)を注文してみる?
「そういえばjirochoさんの掲示板に、jirochoさんやしんちゃんさんが「ナポリ」に集まるって書いてましたよ」とことっとさん。なに! 「ナポリ」とな! 「ナポリ」は人形町にあるおでんのお店。以前から行ってみたかったお店のひとつなのです。ここからだと人形町までは日比谷線1本だし、その集まりに参加しましょうか。おでんはそこで食べましょう!
お勘定をお願いすると、注文するたびにプラスチックカップの中に入れられた色付きのチップによって集計されます。今日は2人で1,450円(ビール大ビン、小ビン各1本にホイスとチーズ)でした。
南千住は比較的来やすいことがわかったので、ぜひ今度、「大坪屋」「大林」なんかとも合わせて再訪したいですね。(参考:「吉田類の酒場放浪記(大坪屋)」。「まりみるのおいしい生活日記(大林)」
(同じときの記事が「帰り道は、匍匐ぜんしん!」にもありますので、あわせてお楽しみください。)
・店情報
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コメント
浜田さん、今日は。
大林はとても感じの良い店ですよ
私は何時も南千住から歩いて行き、帰りは向かいのバス停から浅草経由で小伝馬町か東神田に出ます。少し酔った状態で、バスの中から街の眺めを見ているのも楽しいですね。
投稿: しんちゃん | 2005.05.24 08:23