こんなところに名店が(後編) … もつ焼き「高松屋(たかまつや)」(雑司が谷)
(前編からの続き)
店には、いかにも常連さんらしき男性ひとり客が、ひとり、またひとりと入ってきて、カウンター席を埋めていきます。常連さん同士はお互いによくこの店で顔を合わせるようで、入ってくるなり、「おぉ。昨日、あれからどうした?」なんて会話を交わしています。
ほとんどのお客さんが注文するのは瓶ビールかハイサワー(400円)。すぐとなりのおじさんは燗酒(350円)を飲んでいます。
「焼き物、たのんでもいいかなぁ?」
常連さんたちは、一様にそう確認しながら焼き物の注文をします。この店では、焼き台に空きがあるときだけ焼き物の注文をしてもいい、というこのお店だけのローカルルールがあるようです。みんながそれを守っている姿が、とてもいいですよね。
さてさて。ビールの次は、何をもらいましょうか。ハイサワーはちょっと甘そうなので、ウイスキー(400円)にしようかな。
「ウイスキーはどういう飲み方ができるんですか?」
「水割りかロック。湯割りなんかもできますよ」とおにいさん。
「じゃ、水割りでお願いします」
水割り用のグラスに氷が入れられ、サントリー・ホワイトがとくとくと注がれます。
常連さんたちがそうしているように、私も「焼き物、注文していいですか?」と確認してから、シロ、レバをタレで、カシラを塩で注文します。一巡目のもつ焼きがあまりにも美味しかったので、残る3品もぜひ食べてみようと思ったのです。
入口近くに入ってきた常連さんは、「厚揚げ、1個キープね。あとキュウリ」と注文。えっ? キュウリなんて、どこにも書いてないじゃん! しかし、「はい」と返事したおにいさんは、トントントンと支度して「はい、どうぞ」とモロキュウを差し出します。どうやら、モロキュウや、冷やしトマト、冷奴などの簡単なつまみは用意しているようです。
もつ焼き以外に、野菜焼きも(メニューにはないけど)あるようで、カウンター上に置かれた笊(ざる)の中に、串を打ってスタンバイしたシシトウ、シイタケ、ネギなど並んでいます。
さっきの常連さんがキープしていた厚揚げは、カウンター上に5~6個がブロックのように積み上げられていて、注文を受けて焼かれるようです。これがなくなってしまわないようにキープしたんですね。
第二弾のもつ焼きが焼きあがってきたところで、ウーロンハイ(400円)をもらいます。
ここのもつ焼きは、上から見ると楕円の形に、まん中が膨らむような刺し方になっていて、レバとカシラには、その一番太いところ(まん中)にネギが一切れはさんであります。焼き上がりがこれだけ大きいというのも素晴らしいですね。しかも、焼き方が丁寧で、焼き加減も抜群です。これはいいなぁ。
ゆっくりと1時間半ほど堪能して、お勘定は2,250円。店のおにいさんに「よろしければまたどうぞ」と見送られながら店を後にしたのでした。どうもごちそうさま!
さて後日談。すぐに再訪しようと、数日後の平日、午後9時前に「高松屋」に行ったのですが、暖簾(のれん)は出ていて、店内にも灯りがついているものの、赤提灯が消えている。ん? と思いながら入口引き戸を開けてみると、「ごめんなさい。今日は全部売り切れました」とおにいさん。店内は常連さんたちでいっぱいで、みなさんひとしきり食べ終えて、食後のおしゃべり中といった風情。ガビーン。やっぱりもっと早めに来ないといけないんですね。
また、この店に行ってから、今回の記事を書くまでの間に、飲み仲間たちに「すごい店があったよー!」なんて話をしていたところ、歩く酒場データベース・Kさんは、すでに「高松屋」のことを知っていた(行っていた)ことが判明。さすがですねぇ。
ウイスキー水割り / カシラ(塩)と秘伝の漬けダレ / ウーロンハイ
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コメント
いつも楽しく拝見させていただいています。今回紹介の「高松屋」も大変興味深い店ではありますが、ざんねんながら、行ってみたいとも、「名店」とも感じませんでした。
かつて山口瞳氏は、「居酒屋は、客(常連)が育てる」「幅を利かせている客は正しい常連ではない」との趣旨を言っていました。正しい常連は、一見の客に悟られない存在であり、店が混んできたら、さりげなく消えることだと説いています。「いつもの」の一言で常連ぶることは、他の客からして愉快なことではありませんし、それを喜ぶ店主も卑しさを感じます。常連客が幅を利かせ、店も常連客を優遇し常連専用の隠しメニューなどが存在する「高松屋」は「名店」なのでしょうか?決してネガティブな評価をなさらない浜田さんの優しい姿勢には、常々感心していますが、機会がありましたら「常連」や「名店」の定義や見識をうかがってみたいとも思っています。(私が「高松屋」に行きたくないと感じたのは、浜田さんの卓越した文章力で、さりげなくそれを伝えているのかもしれませんが・・・)
投稿: 福本 聡 | 2009.01.31 08:28
コメントありがとうございます。
私は、二日とあけずにやってくる常連さんたちに、長年にわたって愛され続ける酒場が名店なのではないかと思っています。
その常連さんたちとお店の人たちが、一緒になって織り成す酒場の空気が大好きで、その中にそっとお邪魔して、どっぷりと浸かっていたい気持ちになります。
今回のように、あまり他所(よそ)の人が訪れないような場所にある小さな酒場は、まさにほとんど毎日やってくる常連さんたちで成り立っているのではないかと思います。一見さんはほとんど来ないのではないでしょうか。だからメニューも決して隠しているわけではなくて、あまり書く必要がないということじゃないかと思います。
また行ってみたいなぁ、と思うお店でした。
投稿: 浜田信郎 | 2009.01.31 10:42
確かにお店の立地によっても常連さんの意味合いが違ってきますね。浜田さんの解釈、さすがです。いずれにしても、その酒場の空気になじむ、親しむという気持ち、そして人間としての器量が酒飲みには必要ですし、それが酒を一層うまくさせるのかもしれないと改めて考えさせられました。ありがとうございました。
投稿: 福本 | 2009.01.31 16:39
福本様による山口瞳氏の名言を引用されたコメント興味深く拝見しました。「常連は、一見の客に悟られない存在であり」というのは至言のように思います。
また、浜田さんの「常連に長年にわたって愛され続ける酒場が名店」という言葉もうなづかされる名言です。常連とそうではない客とが、うまく空気を読みながら振舞い、どちらも窮屈に感じないような店主の采配こそが名店になる要素なのかも知れませんね。手前味噌ですが、私も荻窪の某店では創業時から顔を出し古いのですが、店主を名前で呼ぶことも自らの名を名乗ることもしていません。それは、私が常連と思われることが照れくさいし、その必要も感じないからです。福本様のコメントを拝見して、改めてその気持ちが強くなりました。ありがとうございました。
投稿: じょうろ | 2009.02.14 12:03
私の経験を書きますと、ここで、午後8時頃に1人でぶらっと入ろうとしたところ、
常連らしき人に最初、「自転車はもっと、こちら側に止めて」と言われて、
その通りにして、店の中に入ったところ、
同じ人が今度は「悪いね。今日はもう終わりだから。」と言われました。
カウンターの中にいるご主人?は、それを見たまま
何も言いませんでした。
常連さんが、来る客を選んでいるのかなあ、と感じました。
ちょっと寂しかったです。
投稿: さっき | 2009.08.17 16:01