酒場通とめぐる呉酒場(4) … 屋台「富士さん(ふじさん)」(呉)
「酔わせて下町」のFさんと、「宇ち中」の宇ち中(うちちゅう)さんのお二人が呉に遊びに来てくれて、呉の酒場めぐりです。スタンドの後の4軒目は、呉の締めの定番、屋台です。
呉の街なかを突っ切るように流れる堺川(さかいがわ)。その堺川の西岸(呉駅寄り)にずらりと並ぶ屋台はおよそ15軒。ここは赤ちょうちん通りと呼ばれる、全国でも珍しい、地方自治体(呉市)が管理する屋台通りなのです。
ずらりと並ぶ15軒のうち、今日は北の端近くにある「富士さん」に入り、あらためて瓶ビール(キリンラガー中瓶、550円)をもらって乾杯です。
「あ、おでんがある。おでん食べたいなぁ」
とさっそく屋台中央に置かれたおでん鍋に目が行くFさん。ここ「富士さん」のおでんは全品100円。まわりの屋台と比べても(すべてに行ったことがあるわけではありませんが)安いのではないかと思います。おでんはFさんがもらったものを横からつつくことにして、それ以外のつまみとしてホルモン炒め(700円)とガンス焼き(300円)を注文します。ガンスというのは、ピリ辛のさつま揚げに衣をつけて揚げたような、この地方の食べ物です。
他の多くの街と同様に、呉の屋台も戦後の闇市時代に端を発しています。そして、これまた他の街と同様に、東京オリンピック(1964年)をひとつのきっかけとして、屋台営業を規制する方向へ法律・条例や地方自治体の政策などが向かっていきます。
呉市の場合も1965年に、市内のあちこちに存在している屋台を、堺川西岸の蔵本通りへ集約する(それ以外の場所については営業許可を出さない)調整に乗り出し、翌1966年には28軒の屋台が現在の堺川沿いに集まってきました。
1983年に呉市が、建設省の都市景観形成モデル事業地に指定されたことで、再び蔵本通りの再開発が行われ、歩道沿いに屋台専用の電源や上下水道の設備が22台分、市の費用で準備されることが決まりました。
この工事が完了した時点(1987年)で20軒あった屋台も、配偶者や子に営業を引き継ぐ以外の、他人への譲渡はいっさい認められていなかったため、店主の高齢化や後継者難によって徐々に減っていき、2000年ごろには、その数わずか8軒になってしまったのです。というか、もともと自然消滅を狙いとした市の政策だったので、予定どおりに絶滅に向かっていたというところなんでしょうね。
しかし、その絶滅に危機に及んでやっと屋台の観光的な価値が見直されてきます。呉市も営業を認めるかわりに、屋台の管理も行う方針を打ち出し、新たな屋台営業者の公募も行いました。このときに、お好み焼きやイタリア料理、アジア料理など、今までにはなかった屋台が選ばれて、現在の全15軒の体制になったのでした。
何本かのビールを飲んだ後、締めにはやっぱり中華そば(500円)をもらいます。ここの中華そばは、呉市内に比較的多い、とんこつ醤油系。麺は市販の中華麺と同じようなやや太めの麺。たくさん飲んだあとにコクのあるスープが胃に染みわたります。
ちょうど1時間ほど楽しんで、お勘定は4,350円(ひとりあたり1,450円)でした。どうもごちそうさま。
(なぜかまだつづく)
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コメント
なぜかまだつづく・・・
いえ、この面子は間違いなくつづくでしょうヽ(`Д´;)ノ
投稿: ここちき | 2010.08.23 23:42