歴史ある横浜バー文化 … バー「日の出理容院(ひのでりよういん)」(横浜・桜木町)
「横浜の酒場では飲んだことがない」という、呉から出張中の3人とともに、野毛の酒場を巡っています。1軒目は中華とモツをいっぺんに楽しんでもらおうということで「第一亭」へ。2軒目は、3人とも飲んだことがないというホッピーへの挑戦で「ホッピー仙人」へと行ってきました。
横浜でもう1軒、行っておくべきなのはバーかな。
日本で最初のバーが横浜港近くの山下町(山下公園付近)にオープンしたのは、今から150年前の江戸時代、万延元年(1860年)のこと。それ以来、船員さん向けのバーを中心に横浜のバーは地域に根付きながら発展してきました。
そんな長い歴史があるからか、横浜のバーは市民の生活の中に、ごく自然になじんでいる。東京だとオーセンティックバーとして、極端に言えば「崇(あが)め奉(たてまつ)られる」ようなバーが、横浜だと何かの二次会ででもフラリと行けるような酒場として存在していたりします。
私が行ったことがあるバーだけを思い出してみても、山下町の「スリーマティーニ」、「ウインドジャマー」、「ケーブルカー」、「491HOUSE」や、石川町の「ダフタウン」、「モータウン」、そして野毛の「R」に「グローリー」などなど。いずれも本格的なバーなのに、地元・ハマッ子たちにとっては、まったく普段着の酒場。
昭和25(1950)年創業の老舗バー「クライスラー」なんて、本当に敷居が低くて、大衆酒場に近い雰囲気ですもんねぇ。こういう雰囲気が、まさに港ヨコハマのバーではないかと思います。
さぁそして、我われ4人がやってきたのは、そんな横浜のバーの1軒、「日の出理容院」です。古い理容院をそのまま使った店内の照明は暗く、10人ちょっと入るともう満席となる小さなバー。この小さな空間を女性バーテンダーのメグミさんがひとりで切り盛りします。
カウンター席はすでにいっぱいで、我われは入口左側に1卓だけあるテーブル席へ。ここでいったん離脱していた横須賀のMさんも再合流です。野毛は街全体が1軒の大きな酒場のような感じで、縦横につながった廊下(=路地)をあっちに行ったり、こっちに来たりしながら、ハシゴ酒を楽しむ人が多いのです。
それぞれが思い思いのお酒を注文すると、バーテンダーのメグミさんが美味しいお酒を作ってくれます。メグミさんは一見(いっけん)、となりのおねえさんのような、なんだか素人っぽい様子でカウンター内に立っているのですが、カクテルの注文が入ると、シャカシャカとシェイカーを振ったりしながら、きちんとしたカクテルを作ってくれるのがおもしろい。
今は経営者が変わって、以前とは違うスタイルらしいですが、この近くにあった「バラ荘」というバーは、和服姿のおばあちゃんがひとりで切り盛りされていて、和服でしとやかに、やわらかくシェイカーを振ってカクテルを作ってくれたものでした。
東京でも女性バーテンダーは増えていますが、私が知ってる範囲では、みなさんきっちりとバーコートに身を包んで、男性バーテンダーとあまり変わりがない姿の人が多いように思います。メグミさんや、旧「バラ荘」のママさんのような女性バーテンダーが存在することもまた、バーの歴史が長い横浜ならではの光景かもしれませんね。
1杯5~600円のキャッシュ・オン・デリバリー(飲み物と引き換え払い)というところも、ここ「日の出理容院」のいいところです。どうもごちそうさま。
◇ ◇ ◇
「日の出理容院」を出たところで、呉からの3人は宿舎に向かい、横須賀のMさんと私は、野毛の街なかにある怪しげなバーへ。なにが怪しげかというと、このバーには店名表記も何もなく、入口もごく普通の玄関のような感じ。こういう隠れ家風のバーがあるのも横浜のおもしろいところですよねぇ。
もとはと言えば、先ほどの「日の出理容院」も知る人ぞ知る、隠れ家バーだったようで、私も最初に「日の出理容院」を紹介されたときは、その外観からは、とてもそこがバーだとは思えないほどでした。
しかし、この隠れ家風バーも、店内に入ってしまうと、そこはきっちりとした格調高いバー。この感じも「日の出理容院」と同じですねぇ。
この隠れ家に、店の片づけが終わった仙人やカジさん、チャコちゃんも合流して、横浜の夜はとっぷりとふけていったのでした。遅くまでありがとうございました。>みなさん
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