大きな大根で燗酒2杯 … 屋台「一二三(いちにさん)」(呉)
呉の屋台「一二三」の正式名称は「いちにさん」ということなので、この記事から名称を改めさせていただきます。
「一二三」が創業したのは昭和51(1976)年。そろそろ創業35年となります。
「一二三」をはじめたちょうどその頃、近くに平仮名で「ひふみ」と書く別の屋台があり、その屋台と区別するために、こちらの屋台は「一二三」と書いて、「いち・にい・さん」と読むようにしたんだそうです。
現在はその平仮名「ひふみ」もなくなったので、「ひふみ」と呼んでも、正式名称で「いちにさん」と呼んでも、間違うことなくここ「一二三」のことを指すことができます。お客さんたちも、多くの人は「ひふみ」と呼んでいるほどです。
今日は、かつて(今から25年ほど前)独身寮にいた頃にお世話になった、元・寮長ご夫妻とともに寿司屋で夕食。当時は寮長夫妻が住み込みで寮の1階、入口近くに住んでいて、独身呑ん兵衛たちの多くは、夜な夜なその部屋に集まってお酒を飲んでは、おだをあげていたのでした。
「ほら、ハマちゃん。遠慮せずに飲めよ」とお酌してくれる寮長。「うち(単身赴任社宅)に帰っても、どうせ一人でメシを食わんといかんのじゃろ。遠慮せずに食え食え」。ギューンと25年分タイムスリップして、すっかり独身時代に戻ったような時間です。
寮長ご夫妻をはじめとして、当時お世話になっていた多くの人たちが、「おぉ、よう戻ってきたのぉ」と、まるで昨日のことのように接してくれます。
愛媛の北条(現在の松山市)に生まれて18年、博多で6年、呉で5年と過ごした後、東京に転勤し、東京で14年、その後、横浜で8年。そして、平成22(2010)年の4月、実に22年ぶりに、社会人としての第一歩を踏み出した呉の地に戻ってきたのでした。
街は当時と変わっている部分も多いけど、人のほうは、外観こそそれぞれ22年分の積み重ねがあるものの、気持ちはちっとも変わっていないのが本当にうれしい。
そんな懐かしくて楽しい夕食の時間を過ごした後、帰宅される元・寮長ご夫妻を見送ってから、ひとりでここ「一二三」へとやってきたのでした。
土曜、午後8時過ぎの「一二三」は、まだまだゆるやかな人のいり。とはいえ、総席数が10席くらいしかないので、ちょっと人が来るとすぐに満席になり、またなにかの拍子にはガラガラになったりと、けっこう振幅があります。しかしながら押しなべて見ると、満席に近いときが多いかな。
さっそく燗酒(白鶴1合400円)を注文すると、チロリで燗をつけてから、コップに注ぎ、残ったお酒はチロリのまま横に置いておいてくれます。
さっき寿司屋に行ったばかりの満腹状態なので、つまみには、おでんの大根(100円)を注文すると、出てきた大根の大きいこと。
呉に来てから、おでんは広の「あわもり」で食べることが多いのですが、残念ながら「あわもり」のおでんには大根は入っていません。なので、「魚菜や」や屋台といった、おでんを置いている店に来ると、つい大根をたのんでしまうのでした。
さらに燗酒(400円)をおかわりして、大根をちびりちびり。実に長持ちするつまみです。
屋台の中は狭いので、飲んでいるうちに他のお客さんたちとも会話が弾んでくるのがおもしろい。特にここ「一二三」は元々テレビがなくて話がしやすい上に、お母さんがいつもニコニコとみんなに話しかけてくれるので、一見さんでもすぐに話の輪に入れるのです。
そうこうしているうちに屋台の中は満席になり、入れないお客さんも出始めたので、私はこの辺で戦線離脱。お勘定は900円でした。どうもごちそうさま。
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