カクテルをつくる女将 … 居酒屋「どん底(どんぞこ)」(呉)
「魚菜や」を出て、今日の2軒目は昭和28(1953)年創業、呉で最古のスタンドバー「どん底」に入ります。
広島からいらしゃっているオオカワさんの「何かカクテルをお願いします」という注文に応じて、女将が作ってくれたのは美しいブルーの、ラムベースのロングカクテル、「ブルー・ハワイ」です。私はいつもの「竹鶴12年」を、いつものロックでもらいます。
「どん底」のカウンターは、樹齢400年という欅(けやき)の1枚板。板とは言うものの、その厚みは15センチほどあり、奥行きも1メートルほどあるので、どかんと大きな木のかたまりのような感じです。このカウンターが、実にくつろぐんだなぁ。
実はこのカウンター、1本の丸太として仕入れてきたそうで、店内の端から端までくらいの長さがあったそうで、大工さんも「これに鋸(のこ)を入れるのは残念だなぁ。こんな木は2度と手に入らないかもしれない」と切るのをためらうほどの名木だったそうです。
その丸太の中心部あたりの15センチほどがカウンターになりました。残りの部分は天井の梁(はり)として使われたり、バックバー(カウンターの中の棚)の板として使われたりして、捨てる部分はありませんでした。その最後の1枚が、バックバーの最下段の棚板です。よく見ると手前のほうはある程度の厚みがあるのに、奥のほうへ行くとだんだんと細くなっている。こんな細いのに、上にたくさんボトルを並べても変形しないんですね。欅の強さを再認識です。
床全面に赤いじゅうたんを敷き詰めているのも「どん底」の大きな特徴のひとつ。
「お父さんは中間色が大嫌いでね。赤か青か白。はっきりとした色が好きだったのよ」
と亡きご主人のことを話してくれる女将さん。ご主人が亡くなったのは昭和も終わりに近づいた昭和63(1988)年の春のこと。
「お葬式が4月の5日でね。亡くなった共済病院から、火葬場のある焼山まで、道路沿いはずっと桜が満開。華々しく生きて、こんな店を作って、最後はお葬式まで。華やかな人生だったわねえ」
それ以来、23年間、女将が一人でこの店を守ってきたのです。
そこへ男性ひとり客が入ってきて、カウンターの奥のほうに腰を下ろします。女将に飲み物を注文しながら、
「この店に、浜田さんという方がよく来られるんですか?」
「え? 浜田さん? 私は知らんけどね」
と答える女将。そうか。この店には私もたいていひとりでやってくるので、自分の名前を名乗ったことはありませんでした。女将にとって私は、『名前は知らないけど、ときどきやってくるお客さん』だったわけですね。
「え~と。私が浜田ですけど……」
恐る恐る名乗ってみると、
「あぁ、あなたが浜田さん。ブログを見て横浜からきたんですよ。仕事のついでですけどね」
「そうだったんですか。それはどうもありがとうございます」
この方は小野さんとおっしゃる横浜の方で、仕事で九州方面に出かけた帰りに、わざわざ呉まで足を延ばしてくれたんだそうです。なんとありがたいことでしょう。
小野さんともいろいろとお話をさせていただいて、2時間ほどの滞在は、オオカワさんとふたりで11,000円(ひとりあたり5,500円)でした。どうもごちそうさま。
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コメント
檜の板、良いですね。すごく落ち着いて、暖かみがあって帰りたくなくなるかもです。私は、もし冬にこのバーに寄れたら、迷いなく『ホットバター・ド・ラム』を注文したいですね!
投稿: りゅうちゃん | 2011.05.19 22:53
大変失礼しました。浜田さま。欅でした。ごめんなさい。
投稿: りゅうちゃん | 2011.05.19 22:57