もつ焼きは東京郷土食 … やきとん「秋元屋(あきもとや)」(野方)
帰京すると絶対に食べたい・飲みたいものが、もつ焼きとホッピーです。
ずっと東京にいる間はあまり気づきませんでしたが、もつ焼きもホッピーも明らかに東京フード、東京ドリンクで、他の地域では、少なくとも本物の味を楽しむことはできないんじゃないかと思います。
もし「秘密のケンミンSHOW」で、東京都が取り上げることがあったら、どぜう鍋や蕎麦などとともにぜひ紹介してもらいたいくらいです。
「もつマニア」(浜田信郎・監修、メディアパル、税込み1,365円)の『はじめに』でも触れさせていただきましたが、今のスタイルのもつ焼きやもつ煮込みは、明治時代に東京で発祥した食べ物です。
江戸時代の武士の世が終わって失業した百万人もの下級武士のために、明治政府が酪農を推奨。東京は一大酪農地域になったのです。首都東京には外国人も多かったので、肉はどんどん消費されていたんですね。
そして、明治の終わりごろには『やきとりといって、牛豚のモツを串に刺し、タレをつけて照り焼きにして食わせる町の屋台店が夜になると現れてきた』(角田猛著「いかもの・奇味珍味」1957年)のです。
現在のもつ焼きは、豚の畜産副産物(食肉加工センター等で発生する食肉以外の部分)が主たる材料です。
“もつ焼き”という呼び方は主として東京下町で使用されていて、他に“やきとり”(ひらがな表記のことが多い)や“やきとん”を使う店もあります。
“もつ焼き”という呼称を使っている店は、立石の「宇ち多゛」や「江戸っ子」、「ミツワ」、さらに浅草の「喜美松」や「千代乃家」などなど。この「千代乃家」が“もつ焼き”という呼称を使い始めた元祖なんじゃないかと言われています。(参考:辻バードさんの千代乃家紹介)
“やきとり”を使っているのは恵比寿の「たつや」や渋谷の「山家(やまが)」、そして東京ではありませんが、「秋元屋」の師匠である蕨(わらび)の「喜よし」などなど。
“やきとん”は、東十条の「埼玉屋」をはじめ、「秋元屋」およびその系列の各店が使っています。
「秋元屋」の店主・秋元宏之さんは、平成16(2004)年に「秋元屋」を開店するときに、「宇ち多゛」のように“もつ焼き”と名乗るか、「埼玉屋」のように“やきとん”と名乗るかを検討して、最終的に“やきとん”と名乗ることにしたんだそうです。
一方、ホッピーは、みなさんもご存じのとおり、東京・赤坂に本社を置くホッピービバレッジ株式会社(明治43(1910)年創業)が、昭和23(1948)年に製造・販売を開始した、この会社独自の麦酒様清涼飲料です。調布工場で製造されたホッピーは、鮮度が大事。目の行き届く範囲に販売しているため、首都圏を中心としたエリアで見かけることが多いのです。
連休三日目の今日は、家族で「スタミナ苑」(阿佐ヶ谷)で焼肉を食べた後、私だけ、さらにもう1軒と「秋元屋」へ。
まずは「菊正宗」(小、300円)を燗酒でもらって、煮込み(350円)と、お新香(200円)を注文したものの、残念ながらお新香は売り切れ。「ごめんね~」と奥の厨房から出てきてくれたよっちゃんと、お久しぶりのごあいさつ。
「秋元屋」野方店で働いていたみなさんが、次々に自分の店を開いて独立されたこともあって、昔からずっと続いていらっしゃる店員さんは、よっちゃんだけくらいになってしまいました。
昔から『癒しのよっちゃん』と呼ばれているとおり、毎日大忙しの「秋元屋」店内にあって、いつも笑顔のよっちゃんに、常連さんたちはみんな癒されるのです。
2杯目には、冒頭の写真にある三冷黒ホッピー(400円)をもらって、つまみはじゃこおろし(250円)と、生白がつ(120円)と、うずら(100円)を1本ずつ、それぞれ塩で焼いてもらいます。
向かって左側の旧店舗の焼き台前で、1時間ほどの滞在。お勘定は席料が100円ついて、1,620円でした。どうもごちそうさま。
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