6年間お疲れ様でした … 阿佐ヶ谷「川名」~中野「ブリック」
今から6年前、平成19(2007)年4月に創刊された「古典酒場」。その後も1年に1~3冊のペースで出版されてきましたが、つい先日、平成25(2013)年5月に発行された「古典酒場 VOL.12 FINAL号
」をもってSeason1が終了し、休刊となりました。
居酒屋巡りの大先達・太田和彦さんから、「酒とつまみ」創刊編集長の大竹聡
さん経由で、「倉嶋編集長
の慰労会をやりましょう」というお声がけをいただき、今日は阿佐ヶ谷「川名」の奥座敷に4人で集合です。
太田和彦さん、大竹聡さん、倉嶋紀和子さんのお三方は、これまでにも不定期に「倉嶋・大竹・太田の三馬鹿トリオの会」((C)太田和彦さん)を開催されていたので、今回は、そこに私も加えていただいた形ですね。
生ビールをもらって乾杯すると、我われ3人からの記念品として、太田さんから倉嶋さんに、バカラのグラスが手渡されます。(この記念グラスのご発案も太田さんで、しかも自ら足を運んで、選んできてくださいました。)
太田:「12巻、570軒。これをすべて取材して回ったのが、まずすばらしい。取材を断られる酒場もあったでしょう?」
倉嶋:「断られても何度も通って、手紙も書いて、なんとかこっちの思いをわかってもらおうと必死でした」
太田:「そういう編集者がいま少ないんだよねえ。最近はすぐに昔の写真や文章を使いまわしたり、データ外注したりして、簡単に本を作ってしまおうとする。ぜひ見ならってもらいたいねえ」
「古典酒場」を始める前から、倉嶋さんがあこがれていたという大竹さんは、創刊号の「Tokio古典酒場」で、「『酒とつまみ』編集長・大竹聡さんインタビュー」というコーナーに、インタビューゲストとして出演されているものの、第2号の「Tokio古典酒場 昭和下町和み酒編
」ではすでに「大竹聡のハイボール酒場巡礼記」というページを受け持たれ、その後、号を重ねるごとに「古典酒場」作成者側の立場が強くなり、第12号(FINAL)では、太田和彦
さんや吉田類
さんたち7人に『酒場の魅力に開眼した原点となる酒場、酒場半生記をロングインタビューする』という大企画までご担当されました。
大竹さんなしには、特に後期の「古典酒場」は成り立たなかったかもしれません。その意味では、大竹さんご自身も、実は慰労される側なのかも!
阿佐ヶ谷「川名」を出て、二次会は中野の老舗バー「ブリック」です。角をボトルでもらって、ハイボールで乾杯! つまみもひとり1品ずつ注文します。
「古典酒場」の創刊号から続いている記事の一つに『居酒屋談義』があります。毎号、ひとりずつを取り上げて、酒場でインタビューするというもので、これも大竹さんが担当されています。第1号がなぎら健壱さん、第2号が安西水丸
さん、そして第3号で太田和彦
さんと続き、以下、坪内祐三
さん、吉田類
さん、森下賢一
さん、不肖・私(浜田信郎
)、鈴木琢磨
さん、坂崎重盛
さん、牧野伊三夫
さん、中原蒼二
さん、佐山哲郎
さんという、合計12名が登場されました。この部分だけを抜き出して1冊の本にしても、読み応えがありそうです。
「落ち着いたら、書き下ろしの本を出すことを考えてみたら?」と太田さん。
そうですよねえ。倉嶋さん自らが自分の足で回った570軒。いや、「古典酒場」に載っていない酒場も含めれば、その倍以上の軒数かもしれません。そして「古典酒場」に登場してくれた、数多くの人たち。すばらしい本になりそうです。
「これまでの女性のライターさんたちは、みなさん(少なくとも文章の上では)きれいな飲み方をされている。倉嶋さんのように破滅的な飲み方をする人はいなかったから、その点でもおもしろいんじゃないかなあ」
あはは。たしかに。この切り口でも楽しい本になりそうです。『女性版・大竹さん』って感じで、本のタイトルは「アタシだって酔ってません 酒呑み紀和子は今日も行く」なんてのがいいかもね(笑)。
午後4時から飲み始めたのに、ふと気がつけばもう11時。7時間も飲んでいたとは思えないほど、あっという間に感じた楽しい時間でした。
倉嶋編集長、6年間おつかれさまでした。太田さん、大竹さん、すばらしい場に参加させていただき、本当にありがとうございました。またご一緒させていただけることを楽しみにしております。
・「川名」の店情報(前回) / 「ブリック」の店情報(前回)
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コメント
倉嶋編集長さま、たいへんお疲れさまでした。また、「古典酒場」復活させてくださいね!
倉嶋編集長、万歳!
投稿: 仙台おおぽん | 2013.08.01 12:02