森下賢一さんを偲んで … 「河本(かわもと)」(木場)
さる11月26日(火)、師と仰ぐ森下賢一(もりした・けんいち)さんが、尿毒症のため逝去されました。81歳でした。
今日は江東区の富岡斎場で「お別れの会」が開かれました。
会場には吉田類(よしだ・るい)さんや、「河本」の常連さんたちもいらっしゃっています。
森下さんは、昨年末に足に血栓ができて入院。手術をされたのですが、年が明けた1月、今度は腎臓に血栓ができ、6時間にも及ぶ大手術の結果、なんとか一命はとりとめました。しかしながら、それからは人工透析が必要となり、退院することはできない状態になってしまったんだそうです。
そして8月。人工透析をするための血管にまで血栓ができてしまい、ついに人工透析もできなくなってしまいました。
こうなると普通なら数週間程度しか生き延びることができないらしいのですが、森下さんはそれから3か月も闘病されたんだそうです。
11月25日(月)は、森下さんの奥様・廣子(ひろこ)さんのお誕生日。病床で「今日まで生きててくれてありがとう」と告げる奥様に、「ふわ~っ」とアクビで返事をし、それから数時間後(26日の午前2時55分)に息を引きとられたんだそうです。
「お別れの会」を終えて、いったん自宅に戻り、服を着替えてから、また改めて江東区へと向かいます。
今日は、森下さんが愛した酒場の1軒、木場の「河本」で森下さんのことを偲ぼうと思っているのです。実は森下さんのご自宅が、「河本」のすぐ近くなんですね。
開店時刻の午後4時過ぎに着いたのに、店内はすでに満席模様。かろうじて空いているすき間に入れてもらって、ホッピー(400円)とニコタマ(にこみ玉子入り、300円)でスタートです。
これまでにも何度か書いてきましたが、このブログのタイトル「居酒屋礼賛」は、森下賢一さんの著書、「居酒屋礼讃」から無断借用したものでした。
森下さんの「居酒屋礼讃」は、私にとって、『酒場めぐりのバイブル』のような存在だったのです。
のちに、森下さんの句会に参加されている方と知り合うことができ、森下さんに無断借用をお詫びする場を作ってもらう機会を得ました。
森下さんは、なにも言わずにニコニコと許してくれたばかりか、その後、「居酒屋礼讃」が文庫本化されるのにあたって、その『解説』の執筆者にご指名いただいたり、「古典酒場」誌上で、リレー形式に行われた「新・居酒屋談義」でも、ご自身の次に私にバトンを回してくださったりと、まるまるお世話になりっぱなし。
ひとつも御恩返しができないまま、お別れの日が来てしまったのが残念でなりません。
2杯めのホッピー(400円)をもらって、つまみには「かけじょうゆ」(400円)を注文。かけじょうゆというのは、マグロぶつ切りのこと。あらかじめ醤油をかけて提供されるのでこう呼ばれるようになったのかな? この店特有の言い方ではなくて、この地域では昔からそう呼んでいたようです。
森下さんは昭和6(1931)年に、神奈川県の材木商の家に生まれました。
戦後は学校にも通えない状態が続いたのですが、大学検定で資格を得て、早稲田大と東京外語大に合格。もともと語学が好きだったことと、国立のほうが学費が安いからということで東京外語大に入学。
昼は学校に通い、夜は米軍基地での電話交換(通訳的な役割)などのバイトをしながら学費を稼ぐという生活を送ったんだそうです。
大学を出た後は、商社員としての東南アジア駐在を経て、フランスに留学。そこから今で言うバックパッカーのようなやり方で世界中を旅して歩き、帰国後、その体験を週刊誌(平凡パンチ)に連載。以降、翻訳家・エッセイストという道を歩んでこられました。
3杯めのホッピー(400円)には、おでん(400円)を合わせます。おでんは「河本」の冬場の名物。おまかせ5個で400円というのが標準形ですが、人によっては「玉子も入れてね」とか、「豆腐を入れておまかせで」と、好みの品を入れてもらったりもしています。
単行本としての「居酒屋礼讃」が毎日新聞社から出版されたのは、今から21年前、平成4(1992)年のことでした。
『ぼくはこの本が、赤ちょうちんへの挽歌となって欲しくはない。しかし、とにかくぼくが好きな居酒屋とパブへのオマージュ(賛辞)として、片思いの歌として、書いておきたかったのだ。』
冒頭の部分にそう書かれています。
酒場を評価したり、欠点を指摘したりするのではなく、酒場を愛する気持ちをそのまま片思いの歌として綴る。
この本のタイトルを使わせていただいている以上、私自身も、これからもできるだけそういう文章になるように心がけていきたいと思います。
さらに「居酒屋礼讃」をはじめ、森下さんの酒場本では、掲載されている酒場の住所、電話番号、営業情報などに加えて、わかる範囲でお酒や料理の値段も記載されています。
森下さんは常々、飲食に関わる記事では「いくらで飲食できるか」を書き添えることが記録として重要だとおっしゃっておられました。
なけなしの小遣いをやりくりしてでも通いたい酒場の情報にこそ、値段の要素は重要。このブログでも、森下さんのその考え方は必ず踏襲していく所存です。
3杯めのホッピーが半分ほど残っているので、湯どうふ小(100円)を追加注文。夏場は「やっこさん」(小100円・大200円)、冬場は「湯どうふ」(値段は同じ)が、この店の人気メニューです。イカ塩辛(200円)をのっけて食べてもおいしいんですよねえ。
森下さんは1月の大手術以降、食事をとることもできず、チューブでの流動食になっていたんだそうです。
美味しいもの(というよりも珍しいものかな?)が大好きで、しかも素敵な呑ん兵衛だった森下さんにとって、思うように飲み食いできない1年近くの闘病生活は、さぞかしおつらかったことでしょう。安らかにお休みいただきたいと思います。(合掌)
開店(4時)から閉店(土曜日は7時)まで、ゆっくりと3時間の滞在。ホッピー3杯に、つまみが4品で、今日のお勘定は2,400円でした。どうもごちそうさま。
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コメント
コメントに相応しくない長文となり、失礼いたします。
思えば森下先生にお目にかかったのは数回でしたが、浜田さんのお引き合わせで、お話をさせていただいて、そのお人柄の温かさに触れた思いがいたしました。また奥様とのお別れのお話、最後まで森下先生らしいエピソードでしたね。
私にとっての先生のような浜田さんのさらに師匠筋、酒場の先駆者である森下先生のおかげで今の私たちがあるような気がいたします。今はまだ飲めませんが、心で献杯を、そしていつか先生に倣って良い飲み方を覚えたいと、こちらの報に接して思いました。
安らかなご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: いわい | 2013.12.04 08:02
かけがえの無い人生の師への、汲めども尽きせぬ敬慕の念、師匠の思いを受け継がれんとされる敢然たる決意・・胸に沁み入るような文章、心して拝読をさせていただきました。昨年夏、読売新聞の「酒都を歩く」で森下さんが2週にわたりお元気に紹介されておられたのが、昨日のように思い出されます。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: しろくま1124 | 2013.12.05 19:48
森下賢一先生への追悼文拝読しました。「お別れの会」に参加した者です。喪主の奥様から語られた先生最期の日々をどなたか紹介されたらいいのに、と思っていたのでほっとしました。私は森下先生とは1997年から2007年3月まで、銀座「TOTO」でよくご一緒させていただきました。「どんな酒場がお好きなんですか?」と私が問うと、「表から見て、やってるんだかやってないんだか分からない店」とこぼれるような笑顔で答えてらっしゃいました。木場のK本そのものですね。明るいお酒でした。
投稿: 埠頭前ドラゴン | 2013.12.08 21:39
ベトナム在住者です。新聞の酒場記事で森下さんのことを知り、また、たまたまこの記事に出会い、感無量です。
いまでこそ酒場記事は認知されていますが、森下さんは草分け的存在。なかなかのお人柄のようです。そうでしょうね、人格者でないとよっぱらいの放言になるでしょうね。
すばらしい追悼文でした。またそこに集う、お酒呑みの人脈の人情の篤さにも感動です。
投稿: 越村 南 | 2013.12.12 12:29