いまや二代目の安定感 … ジャズと演歌「パパジョン(papajohn)」(桜木町)
創業店主の故・島村秀二さんは、今はなき横浜・元町のゴーゴーバー「アストロ」などでバーテンダーとして働いたあと、昭和55(1980)年3月、43歳のときに独立して「パパジョン」を開店した。
それ以来、年中無休の営業を続け、平成20(2008)年2月14日に70歳で亡くなられ、そのお通夜が営まれた2月17日前夜までの10,188日間(28年弱)、二代目となる息子の研一さん(当時30歳)へと経営がリレーされながら、前人未到の連続営業記録を築き上げたのだった。
二代目になってからは、毎週火曜日が定休日となった以外は、お父さんと変わらぬ営業スタイルを続けてくれている。
そう言えば、演歌がかかることもなくなったのかな?
店の看板には「ジャズと演歌 パパジョン」と書かれているが、その演歌は美空ひばりの歌のこと。
先代の秀二さんは、横浜出身の美空ひばりと同じ昭和12年の生まれ。
そのこともあって、美空ひばりの歌だけは、ジャズと同様に大事にしたんだそうな。
そんな秀二さんが亡くなって、はや8年。
今や「パパジョン」も、すっかりケンちゃん(二代目の研一さん)のお店として、安定感が出てきたように感じる。
実は、この店に来る前に、「日の出理容院」にも寄ってきた。
私がブラジルに赴任した平成26(2014)年6月、「日の出理容院」を一人で切り盛りしていた女性バーテンダーが、新しい人に交代していたのだった。
それ以来、久しぶりの「日の出理容院」だったんだけれど、私の中では、前のバーテンダー・めぐみさんのイメージが強くて、なんだか違う店で飲んでいるような、ちょっと落ち着かない気分だった。
ここ「パパジョン」もそうだった。秀二さんが亡くなって数年間は、秀二さんの面影がどうしても頭から離れなかった。
今回、はじめてその感じがなくなって、ゆっくりと「二代目・研一さんのパパジョン」を堪能することができたように思う。
角ハイボールをいただきながら、1時間ほど楽しんで、今夜のお勘定は1,400円。
どうもごちそうさま。また来ます。
「日の出理容院」 / ハイボール / 立ち飲み屋もにぎわっている
「パパジョン」 / 角ハイボール / お通しのおつまみセット
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