日常の一部である感じ … もつ焼き「宇ち多゛(うちだ)」(京成立石)
宇ち中さんと、朝10時40分に京成立石駅で待ち合わせて、「宇ち多゛」の裏手の行列に並ぶ。
この時間帯で20人ほどの人たちが並んでいるが、開店と同時に店に入った人たちがちょうど回転する頃合い。20分ほどの待ち時間で店内に入ることができた。
まずは大瓶ビール(キリンラガー、600円)をもらって乾杯し、料理はかろうじて残っていたカシラとハツの塩焼き(もつ焼きはすべて1皿2本で200円)をもらう。
焼き台のジュンちゃんが、なんでもなさげに焼いているこのもつ焼きがうまいんだな。
この「なんでもない感じ」、「まったく日常の一部である感じ」が下町エリア(東京東部)のもつ焼きの大きな特長だと思っている。
豚のもつ焼きは、今でこそ全国的にポピュラーな食べものになりつつあるが、東京下町発祥の、東京の郷土料理だ。
明治26(1893)年に出版された「最暗黒の東京」(岩波松五郎)に、『滋養品として力役者の嗜み喰らう物。シャモ屋の包厨より買出したる鳥の臓物を按排して蒲焼きにしたる物なり。一串三厘より五厘、香ばしき匂い忘れがたしとして先生たちは蟻のごとくにたかって賞翫す』という焼き鳥に関する記述がある。
明治の終わりごろに、『やきとりといって、牛豚のモツを串に刺し、タレをつけて照り焼きにして食わせる町の屋台店が夜になると現れてきた』ということが「いかもの・奇味珍味」(角田猛、1957年)に書かれていて、いよいよ今のものと近いもつ焼きが、「やきとり」として登場したことが分かる。これがもつ焼きの原型だろう。
それから100年以上の時を経て、東京下町エリアには、しっかりともつ焼きが定着している。だから「まったく日常の一部である感じ」なんでしょうね。
その後、大正12(1923)年の関東大震災、昭和20(1945)年の終戦からの復興期に、徐々に東京の中央部から西のエリアにかけて、もつ焼き文化が広がっていく。
平成以降、特に近年は、それまでの「安いからもつ焼き」というイメージではなくて、「美味しいからもつ焼き」という流れになっている。かつての「酔っ払ったおじさんたちの食べもの」という固定観念はすっかり払しょくされて、今や「宇ち多゛」の店内でも、女性客の姿を見かけることが当たり前になってきた。
まさに『隔世の感あり』である。
焼酎(200円)を梅割りでもらって、つまみにはタン生(ゆで冷ました豚タン、200円)と、お新香(紅ショウガ多め、200円)を注文する。
お新香はキュウリと大根のぬか漬けに、紅ショウガをトッピングしたものなんだけど、寒い季節になると大根が美味しいね。
そして焼酎もおかわりしながら、「シロタレよく焼き」(1皿2本200円)をもらう。
これは、シロ(下ゆでしている豚腸)を、タレ味で、しっかり目に焼いて、という注文だ。「焼くもの+味付け+焼き具合」という順番で伝えるのがこの店ならではの符丁。
もともとは、いろんなたのみ方をするお客の注文を、焼き台に間違いなく伝えるために作られたものなんだろうけど、その符丁が常連さんたちにも伝わり、常連さんたちは最初からその符丁で注文するようになった。それが今や、「宇ち多゛」の注文ルールのようになってるんだから面白いですねえ。
最後は焼酎を半分(100円)ずつもらって〆。
1時間半ほどの酒場浴。今日のお勘定はひとり1,500円ずつでした。どうもごちそうさま。
焼酎梅割り / お新香(しょうが多め) / シロタレよく焼き
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