とり屋で旧交を温める … 居酒屋「かしま支店」(呉)
「オオムラ亜」での『ひとりゼロ次会』を終えて、向かう先は「かしま支店」である。
飲み会は午後6時からの予定なのに、10分前に店に着くと、ほとんどのメンバーが到着していて、しかもすでに飲み始めていた。
「乾杯するたびに、ひとりずつ増えるのぉ。浜田も『生』でええか? おねえさん、『生』、もう1つちょうだいや」
ということで、私も生ビールをもらって、みんなと乾杯すると、案の定、その途端に新たに二人がやってきて、今日のメンバーが全員そろった。
どんなメンバーかというと、さかのぼること35年ほど前。呉の同じ独身寮で過ごしていたメンバーなのである。そのころの寮長も来てくれた。
当時、若くてピチピチ(?)だったメンバーも、何人かはすでに定年になっていたりして、すっかりいいおじさんになってしまっている。それでも、このメンバーで集まると、ピチピチだった当時の感覚がよみがえるから面白いよねえ。
ここ「かしま支店」は、当時、自治会長(=われら寮生の代表)として活躍されていたTさんの行きつけのお店。東京から戻ってくると、よくこの店で宴会を開いてくれるのでした。
ここも「本家鳥好」(昭和26年創業)をルーツとする、呉独自の『焼鳥と活魚の店』の1軒だ。
この系統の店は、「鳥好」「三とり」「鳥八」「鳥晃」「鳥乃家」などと、『鳥・とり』の字が付くお店が多かったので、昔から、総称して『とり屋』と呼ばれることが多かった。
『焼鳥と活魚の店』という、うたい文句どおり、表面上の大きな特徴は、『焼鳥』と、店内の生簀(いけす)で泳いでいる『活魚』の二枚看板となっていること。そして『鶏皮の味噌煮』があること。
東京下町の大衆酒場で、店に入るなり「チューハイと煮込み!」と注文する人が多かったのと同じように、呉の『とり屋』では、店に入るなり「生と味噌!」(=生ビールと鶏皮の味噌煮)と注文する人が多かったのだ。
もつ煮込みも、鶏皮の味噌煮も、煮込み鍋で煮込まれているものを、小鉢や小皿についでくれるだけなので、出が早い。最初の1品としてちょうどいいのである。
現在は、下町の大衆酒場や呉の『とり屋』でも、お通し(つき出し)が出される店もあったりするので、昔ほど「よく聞くフレーズ」ではなくなってきたようだ。
そんな表面上の特徴とは別に、裏に隠れた大きな特徴もある。
それは、『とり屋』の経営者に、鹿島(呉市倉橋町)出身の人が多いこと。
これは「本家鳥好」の創業者・長尾一良さんが、同じ倉橋町の室尾出身だったり、その跡を継いだ二代目店主・上瀬弘和さんが鹿島出身だったりしたことによるもののようだ。
大人気だった『とり屋』は、鹿島出身の若者にとっても、いい就職先だったのだ。
ここ「かしま支店」の店名も、その鹿島に由来している。
そして、この店を始め、『とり屋』各店で出される新鮮な魚介類も、鹿島から直送されてきたものなのである。
積もる話はつきないが、みなさん明日も仕事なので、午後8時半ごろ、お開きとした。
平日の夜にもかかわらず、ありがとうございました。>みなさん
「かしま支店」 / 店の向かいが広い更地になっていた! / 店頭のメニュー
刺身盛り合わせ / サービスの魚あら味噌汁 / 今宵のメンバー
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント