新時代の創始者と深酒 … 魚料理「竹よし(たけよし)」(都立家政)
阿佐ヶ谷「スタミナ苑」をあとに、自宅に帰る家族と別れ、ひとり都立家政の「竹よし」へと向かう。
「こんばんは」
と入った店内には店主と、手伝いのチクちゃん。
そしてなんと、何人かのお客さんたちが並んでる客席には、「秋元屋」の店主・
みんながちょっとずつずれてくれて、秋元さんのとなりに座ることができた。
さっそく「サッポロラガービール中瓶」(500円)をもらって、最初のつまみはチクちゃん手作りの「豆もやし」(150円)だ。
秋元さんと初めてお会いしたのは、今から15年前。2003(平成15)年8月に開催された「川名」でのオフ会のときだった。(参考:オフ会前の掲示板でのやり取りの一部)
「もつ焼き屋や大衆酒場が大好きで、自分でも『もつ焼きの専門店』を始めようと思っています」
自己紹介のときに、そうおっしゃっていた秋元さんは、翌2004(平成16)年1月30日に、野方に「秋元屋」をオープンした。カウンター15席だけの小さいお店(現在の本店左側の、コの字カウンターの部分のみ)だった。
秋元さんは、
今は当たり前のようになった、味噌ダレのもつ焼きだけど、14年前の都内では当たり前ではなかった。
もつ焼きの味付けというと、タレか塩だけ。
しかも塩焼きは、新鮮なもつを仕入れることができる店でしか出してくれなかった。
塩焼きは、においをごまかすことができないので、鮮度の高いもつじゃないとダメだったんだろうなぁ。
だから私も当時は、もつ焼きを塩でいただくのが
「もつ焼きが好きな人は、やっぱり塩焼きなんでしょうけどね。ま、試してみてください」
と秋元さんが出してくれたのは、シロとテッポウの味噌焼きだった。
この味噌焼きが、タレ焼きのように甘くもなく、塩焼きのようにシンプルでもなく。ちょっとだけピリ辛なのが、とても新鮮な味わいだったなぁ。
今は「秋元屋」出身の、いわゆる『秋元系』と言われるもつ焼き屋さんが増えたので、味噌焼きも当たり前のようになってきた。
しかも、お客さんたちは、味噌焼きが美味いから味噌焼きを選ぶ。
「秋元屋」の開店と、もつの味噌焼き時代の到来は、『これまでになかった新しい時代を作った』と言っていい、とてもエポックメーキングな出来事だったのだ。
そんな懐かしい話に花を咲かせながら、飲みものは「賀茂鶴 一滴入魂 純米吟醸」(300ml瓶、650円)に切り替え、つまみには「小あじから揚」(600円)を揚げてもらう。
秋元さんと、同じく野方の「すっぴん酒場」店主・
だから、秋元さんや徳宿さんが、がんばっている姿を拝見すると、自分もがんばらなきゃ! とパワーを注入してもらえるのだ。
日曜日だから、早めに切り上げなきゃと思うんだけれど、秋元さんとの話も弾んでついついもう1本、「賀茂鶴 一滴入魂 純米吟醸」をもらい、「子持ちこんぶ」(450円)も追加する。
秋元さんとお酒を飲みかわしながら、じっくりと話をさせていただくのは、本当に久しぶりだ。(「秋元屋」に伺うときには、私は飲んでるけど、秋元さんご自身は飲んでないですもんねぇ。)
気がつくともう午後11時。そろそろお開きとしますか。
お勘定は3,000円なり。
あぁ、楽しかった。どうもごちそうさま。
「竹よし」 / サッポロラガービール(赤星) / チクちゃんの豆もやし
小あじから揚 / 賀茂鶴 一滴入魂 純米吟醸 / 子持ちこんぶ
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