跡継ぎも決まり一安心 … 屋台「一二三(いちにっさん)」(呉)
朝10時半から呑み始めた呉ハシゴ酒。
6軒目のバー「アンカー」を出たところで午後11時半だ。
いやぁ、今日もよく飲みました。
最後の1軒は、呉に来る前から決まっている。蔵本通りの屋台「一二三」である。
一時期休業していたが、今年に入って店主ご夫妻の娘さんが跡を継ぐことになって、営業が再開されているという噂を聞いていたのだ。
屋台の内部は長方形の形をしていて、一番奥側の長辺が調理場となり、残る3辺が、コの字カウンターのような感じで、お客さんが座る場所になっている。
全体で10人ぐらいは入ることができるだろうか。
その一角に腰をおろし、さっそく「焼酎」(450円)を水割りでもらう。
店は娘さんと、お父さんのお二人で切り盛りしているようだ。
ここの焼酎は、そのお父さんの『焼酎は濃くなければ美味くない』というポリシーの下、以前から濃いめに作られていた。
その味わいは変わらないですねぇ。うましっ!
つまみは? と見ると、いつもの「豚足」(650円)、「豚耳」(650円)、「メザシ」(450円)、「ナスビ」(350円)などに加えて、これまでにはなかった「みそ煮」(330円)がメニューに並んでいる。
「みそ煮」(鶏皮の味噌煮)もまた呉の名物料理のひとつ。さっそく注文したところ、残念ながら今夜はすでに売り切れでした。
でも大丈夫。ここ「一二三」に来たら、絶対に食べたい「おでん」(各100円)は大鍋にたっぷりと並んでいる。
そんなお鍋の中から、玉子と厚揚げの二つを取ってもらった。
あぁ、美味しい。おでんの味も変わってなくてひと安心。
もしかすると、お母さんは屋台には出てないけれど、料理の準備などは手伝っているのかもね。
飲みものも、料理も、そして居並ぶお客さんたちの雰囲気も、以前の「一二三」のままだ。
唯一、違うのは、注文を受けてくれるお母さんの、「よっしゃ!」という、元気な掛け声が聞こえないことか。
「一二三」の中は、お母さんオンステージだったからなぁ。偉大なる主役が抜けたことで、ちょっとした寂しさを感じるが、これからまた時間をかけて、娘さん時代が構築されていくに違いない。
振り返ってみると、昭和58(1983)年に就職して、最初の配属先が呉だった。
その当時、呉の屋台は、飲み屋街のあちこちに点在していたのだが、それから4年後の昭和62(1987)年、蔵本通りの整備に合わせて、屋台も1ヶ所に集められ、ここに屋台街ができあがったのでした。
呉の屋台は、基本的には空きができたときに一般公募されるのだが、すでに屋台営業をしていた人は、そのまま営業が許可された。昭和51(1976)年に創業した「一二三」も、その1軒である。
呉市による営業許可は6ヶ月ごとに更新が必要で、営業許可を受けた人は、その権利を譲渡したり、「また貸し」したりすることはできないが、自分で営業することができなくなった場合には、その配偶者か子にならば承継することができるのだ。
ここ「一二三」もその制度を利用して、子(娘さん)に営業許可を承継したんですね。
屋台営業が許可されている時間は、屋台の設置及び撤去の時間を含めて、午後4時半から翌日の午前5時までの12時間半。
それ以外の時間帯は、上の写真のように、まるで何もなかったかのように、普通の歩道に戻しておかないといけないのだ。
歩道上に白線で区切られている間口4メートル、奥行3メートルの12平方メートル分が1区画。
昼間の間、屋台はどこにいるかというと、すぐ近くにある屋台専用の駐車場に納まっています。
閉じたときの屋台の大きさにも決まりがあって、長さ4メートル以内、幅1.5メートル以内、高さ2.2メートル前後。これに合わせて駐車場も仕切られているのです。
いくらコンパクトに納まっているとはいえ、屋台の重量はけっこうなもの。
毎日毎日、駐車場から引っ張り出して、自分の店の定位置まで引っ張っていくのは重労働です。
しかも深夜、午前5時までにまた撤収して、駐車場まで引っ張っていかないといけない。
この重労働が少しでも楽になるように、三輪バイクでけん引していく店主さんもいらっしゃいます。
それにしても毎日2回(行きと帰り)のことなので大変ですね。
「一二三」も、かつてはお父さんが引っ張って、お母さんが後押ししてと、店主ご夫妻の共同作業でご準備されていたものでした。
今は父娘お二人でご準備されているのかもしれませんねぇ。(未確認です。)
屋台を定位置にセットしたら、屋根を広げてお店の設営に入ります。
大きなポイントは屋台設置場所の歩道ぎわにある、この鍵付きの扉。
この扉の中に、2軒の屋台分の上下水道と電気の設備があって、各屋台はそこに接続して使うようになっているのでした。
呉の屋台の強い味方です。
屋台の、おでん鍋や鉄板が置かれる穴の内部にも、鍋や調味料、調理器具類が所狭しと、そして整然と整理して置かれており、準備が進むにつれて、いつもの定位置にセットされていきます。
見る見るうちに準備は進み、おでん鍋に具材が投入されると、いつもの「一二三」に近い状態になってきました。
そうこうするうちに陽も落ちてきて、午後6時半、いよいよ「一二三」の開店です。
午後4時半から準備を開始しても、開店するまで2時間ほどは準備の時間が要るんですね。
閉店するときも同じ。午前5時までには撤収を終えて、元の歩道の状態に戻さないといけないので、どんなに長くても営業は午前3時半頃まで。
毎日、毎日、1日2回の引っ越しをしているようなものなんですね。
「焼酎水割り」(450円)をおかわりして、午前1時ごろになると、店内は〆の「中華そば」(550円)の注文が多くなってきた。
自分自身が若い頃もそうだったけど、よそでたっぷりと飲んだ後、〆の「中華そば」を食べるためだけに屋台に来たりしてましたもんね。
今もその状況は変わらないようで、日付けが変わるころから、「中華そば」を目指してやって来るお客さんも増えてきた。
その「中華そば」は、今も変わらずお父さんが作ってくれるんですね。
私も最後に半ラーメン(スープと具は同じで、麺だけが半分になる)をいただいて帰ろうと思っていたのだが、この時間になってもまだお腹は空かず、たとえ半ラーメンであっても、もう入りそうにない。残念だ。
お父さんにお願いして一緒に写真を撮っていただいて、お母さんとも電話でお話しさせていただきました。
お二人ともお元気そうで、本当に良かった。
午前1時過ぎまで、1時間半ほど楽しませてもらって、今夜のお勘定は1,100円でした。
呉に来たら、必ず寄りたいこの屋台。これからもますます繁盛することを祈念しながら店を後にした。
どうもごちそうさま。
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