唯一無二のハイボール … サントリーバー「露口(つゆぐち)」(松山)
『サントリーバー「露口」が閉店するらしい!』という知らせが、松山に住む旧友たちから続々と入ってきたのは9月28日のこと。
すぐにネットで検索をかけてみると、同日午後4時58分、地元の放送局・南海放送のTwitterに、『松山市二番町で64年間営業を続けてきた「サントリーバー露口」が閉店することとなりました。露口夫妻は「ハイボールを求め、全国から沢山の方に来て頂きました。全てが思い出です」と話しています』という書き込みがされている。
なんとまあ!
「露口」ご常連のさおりんさんから、8月末に、『朝子さんの腰の具合が悪いから、8月末からしばらく休業。治るのに1ヶ月以上かかりそう』というFacebookへの書き込みがあったので、店主ご夫妻にとっては、ちょうどいい休養になるかと思っていたのですが…。
みなさんからの情報によると、マスターも腰を痛めたそうで、そのまま閉店することになったそうです。
私自身、松山に帰省するときの大きな楽しみのひとつが、「露口」の角ハイボールをいただくことでした。
「露口」の創業は昭和33(1958)年8月15日。私自身はその翌年の1月生まれなので、学年で考えると、「露口」と同級生だ。
松山には高校を卒業するまでしかいなかったので、若いころには「露口」には来たことはなくて、松山に住む旧友に連れられて、初めて「露口」を訪れたのは、今から18年前、平成16(2004)年7月のことだった。
ガツンと美味しい濃いめの角ハイボール。
バーテンダーとしてのマスターの職人技がすばらしくて、その部分だけに焦点を当てるとビシッと厳しいオーセンティックバーのはずなのに、ほわんと明るい朝子さんのおかげで、店内にはのんびりとくつろげる居心地の良さがあふれている。
凛としたオーセンティックさと、ゆるやか~ななごみ感の見事なバランス。こんなバーに出会ったのは初めてだった。
それ以来、すっかりこの店のファンになり、帰省すると、できる限りこの店に寄らせていただくようにしていたのでした。
店主・露口貴雄さんは、昭和11(1936)年に徳島で生まれた。
1954年、18歳のときに大阪に出て、「サントリーバー」に就職。
3年ほど修業したところで、四国で初めて松山にできたトリスバーの店長となり、1958年、22歳のときに独立、ここ「露口」をオープンしたのだった。
そして1961年、店主が25歳のときに、お店のお客さんの紹介で、当時19歳だった奥さま(朝子さん)と出会い、それ以来、ずっと二人三脚で「露口」を切り盛りされてきたのでした。
ここにきての腰痛まで、二人三脚じゃなくても良かったのに…。
そんな「露口」の不動の名物が、角ハイボール。
角ハイボール専用の8オンス(240ml)タンブラーに、ウイスキー(サントリー角瓶)50mlと氷(キューブアイス)が2個。ソーダ(炭酸水)を2~3回に分けて丁寧に注いで、やわらかく上下に2回ステアすると、ウイスキーの琥珀色がはっきりと出た、濃い味わいをもつ、「露口」ならではの角ハイボールができあがる。
多くのバーで出されている角ハイボールは、10オンス(300ml)のタンブラーに、ウイスキーは30mlなんだそうな。
ウイスキーと炭酸水の比だと、「露口」が1:2ぐらいで、普通のバーは1:3~4ぐらい。アルコール度数だと、「露口」が13度ぐらいで、普通のバーは8~10度ぐらいだ。
「レモンピールもね、トリハイ(=トリスのハイボール)が流行った時代に、トリス独特の臭みを消すためにやってたんですよ。角にはレモンピールはしなかったですねぇ。」
以前、マスターがそう話してくれたとおり、「露口」の角ハイボールにはレモンピールはない。
このウイスキーの味そのものの濃さがうまいのです。
これぞ1958年の開店当初から変わらない、「露口」ならではの『昭和のハイボール』ですね。
私自身が最後に「露口」に伺うことができたのは、今年の3月11日(金)と12日(土)の両日でした。
二日連続で、18年前にこの店を紹介してもらった旧友と一緒に訪問。
定番のポップコーンをつまみに、いつもと変わらぬ角ハイボールをたっぷりと堪能したのでした。
二日目の夜には、「露口」の60年の歴史を書き記した、「サントリーバー露口 12ストーリーズ」の著者・阿部美岐子さんや、カメラマンの国貞誠さんともご一緒させていただくことができ、楽しい時間を過ごすことができました。
こうして閉店が決まった「露口」ですが、『多くの人が訪れ地域の活性化にもつながった』として、10月6日には店主ご夫妻に、愛媛県からの感謝状が贈られたそうです。
中村知事からも、「何よりもおふたりの人柄でファンが多くなっていった。残念ですが、お疲れさまでした」というねぎらいの言葉がかけられたとのこと。
同じ記事の中に、『今後露口さん夫妻は、リハビリをして大好きな京都へ旅行に行きたいと話していました』ということも書かれていました。
早くお元気になられて、京都旅行にも行けるようになることをお祈りしております。
多くの人がそう思われていると思いますが、私にとっても「露口」は、いろんな面で、他に代わりになるところがない唯一無二の酒場でした。
長きにわたり本当にありがとうございました。
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コメント
懐かしいなあ、残念だなあ。
夫婦漫才が楽しいし、ハイボールは旨いし。
体を治して、余生を楽しんでください。
ありがとうございました。
投稿: 名古屋の太郎 | 2022.10.16 07:24