呑兵衛横丁からの老舗 … 「とんぼ」(釜石)

釜石での仕事も今日が最終日。
帰る前にもう一度、行っておきたい酒場がある。
釜石の初日にも行った、釜石駅近くの「とんぼ」である。
店に着いたのは午後5時前。
店に入ると、前回もご一緒させていただいた、男女二人連れのご常連さんが、前回とまったく同じ席で飲んでいた。

これまた前回と同じく、そのお二人に続く3人めの客として店に入った私も、前回と同じ席に座って「生ビール」(600円)を注文した。
すると、となりのご常連お二人が、自分たちで持ち込んでいた「焼きそば」を、「これもどうぞ」と分けてくれた。
あらあら、これはどうもありがとうございます。

ここ「とんぼ」には飲み物のメニューしかなくて、料理はすべて女将さんにおまかせとなり、つまみが途切れることがないように出してくれる。
今宵のおまかせの1品めは「昆布煮」でした。
「とんぼ」をお一人で切り盛りされている女将さんは82歳。
1988年(昭和63年)11月、女将さんが47歳のときにこの店を始めて35年になると言う。

お店を始めるのにあたって店名を検討しているときに、ご主人は「よさく」を、長渕剛ファンの息子さんは「とんぼ」を、それぞれ推していた。
近所にない店にしようと確認してみると、「よさく」という店は既にあったので、店名は「とんぼ」に決まり、いまや伝説的存在となった「呑兵衛横丁」の一角で開店した。

それまで路地で営業していた酒場が、軒を連ねた長屋に集まったのは1957年(昭和32年)ごろのこと。
製鉄業で活気づく釜石の町に、「呑兵衛横丁」の酒場は最盛期には36店まで増えたそうだ。

開店以来22年、「とんぼ」も人気酒場の1軒として順調に営業を続けていたが、2011年(平成23年)3月、東日本大震災が東北を襲った。
釜石でも津波は市の中心部にまで達し、1,000人を超える死者、行方不明者を出す大きな被害をもたらした。
そのころ「呑兵衛横丁」では、「とんぼ」も含む26店が営業していたが、津波で建物は全壊してしまったのだ。

それから1年ほど経った2012年(平成24年)1月27日。被災した釜石市内の飲食店の復興を目的に中小企業基盤整備機構によって、釜石駅から450mほどの場所に、原則2年の期間限定で、仮設店舗「釜石はまゆり飲食店街」がオープンした。
店舗はすべて飲食店専用で48区画。そのなかのB棟1階の15軒が、「とんぼ」も含む「呑兵衛横丁」の酒場で、「呑ん兵衛横丁」という看板も掲げられた。

しかしながら、中心街から離れた場所にあることや、深夜営業許可が取れず営業時間が短くなったこと、仮設店舗の面積が狭くて客数が制限されることなどの理由で売上は伸びにくく、2年間で移転先の新規設備投資ができるだけの資金を作るのはむずかしい状況だったそうだ。
結果的には、「釜石はまゆり飲食店街」は、2018年(平成30年)3月31日まで、6年間続いた仮設店舗となった。

その期限日の1年前、2017年(平成29年)1月27日には、市有地活用事業として、「釜石漁火酒場かまりば」がオープンし、「釜石はまゆり飲食店街」で営業していた「呑兵衛横丁」の酒場からも、「助六」「あすなろ」「やっ子」などが「釜石漁火酒場かまりば」に移った。
「とんぼ」も一緒に移転することを誘われたのだが、「釜石漁火酒場かまりば」の店舗面積が狭かったこともあって移らなかったんだそうな。

そして「釜石はまゆり飲食店街」での仮営業が終了した4ヶ月後の2018年(平成30年)7月24日、現在の「サン・フィッシュ釜石」で「とんぼ」の営業を再開したのでした。
震災から7年4ヶ月。やっと得られた定住の地という感じですね。
釜石駅の目の前ということもあって、店はいつも賑わっている様子。今日も6時を回ったころからは、ずっと満席状態が続いてました。

私のほうは、おまかせで出してくれる料理をつまみに、お酒は生ビールからスタートして、釜石の地酒「浜千鳥」冷酒、そして熱燗と飲み進み、そのあと麦焼酎の濃いめの水割りを2杯。
たっぷりと4時間半も楽しませてもらって、女将さんから「今日は高いですよ!」と言われてのお勘定は5千円。
いやいや、こんなにたくさん食べて飲んで、むしろ安くないですか?!

どうもごちそうさまでした。釜石に来たら、ぜったいにまた訪れたい酒場です。
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